最近、子どもへの虐待のニュースがあとを絶たない。
先日も大津市の41歳の母親が自分の子どもへの傷害の疑いで警察に逮捕された。

この母親は3年前からおととしにかけて当時1歳の次女に繰り返し暴力をふるい、足の骨が折れるといった大怪我を負わせたようだ。
発覚した理由は、この虐待を受けた女の子がおととし3月に自宅で肺炎で死亡したことがきっかけで、解剖でわきの下にやけどの痕や骨折の痕が見つかり警察が捜査を進めてきた。


どこからどこまでが”しつけ”で虐待のラインはどこからか


虐待の線引きは非常に難しい。
定義的には、「長期間にわたって暴力をふるったり、日常的にいやがらせや無視をするなどの行為」

ただ虐待といえども、その”種類”は様々ある。
学術的に記述をすると

・身体的虐待(文字通り、暴力をふるうこと)

・心理的虐待(心に傷が残るような心理的暴力)

・性的虐待(性的な行為を強いること)

・経済的虐待(金銭を使わせない、あるいは確信犯的に経済的困窮を与えること)

・ネグレクト(育児放棄、無視など。最近になり非常に増えてきた)

これらを完全な形で把握することと、摘発することは難しい。虐待の線引きは今でも世界共通の課題だ。
アメリカで積極的に議論が続けられ、日本でも民法の改正などで先に述べた定義付けが行われてきた。

親は、民法にって子育てや子どもを監督することが義務だとされている。つまり常識の範囲内で子どものしつけをすることは親の義務なのだ。
しっかりと子育てをやっておられる方には「当たり前の話だろ」と思うかも知れないが、虐待をしている親には耳の痛い話なのだ。

語弊があるかも知れないが、怯まずに言うとすれば、昔から子どものしつけには「懲戒」という形で、一定の「罰」を使いながら子どもに気付かせるという手法が用いられてきたはずだ。
例えば悪いこと、危ないことを子どもがした場合には頭をはたいたり、軽くビンタしたり、お尻をたたいたり、そのような行為が子育てには必要な側面もある。
しかしこれらが「虐待」かといえば、それは違う。

ならば虐待の線引きを考えたうえで重要になるポイントは

・ケガの程度

・暴力の頻度

・子どもの精神に害を与えるほどの暴力

普通に子育て、しつけをおこなっている親が気をつけなければならない点は「ケガの程度」だろう。
「しつけの一環だった」という供述が多く聞かれるが、第三者から見れば「虐待があった」と判断されてもおかしくない。
ここが非常に難しい点で、このような「交通事故型」のしつけには親も十分に気をつけるべきだろう。

私は、「しつけの一環」だったという供述をどう捉えるべきか非常に悩んだ。なぜなら子どもが苦しんでいる現実と、親が守られるべきしつけの限度に整理がつかなかったからだ。
普段から懸命に子育てしている親にとって、いわば虐待は背中合わせなのかも知れない。

ひとつのビンタが、ひとつの言葉が子どもにとって非常にダメージを与えることになれば、虐待の疑いがそこで生じてしまう。
この全ての原因は虐待で多くの子どもたちの命が奪われた、日本社会の闇の部分だ。

多くの親が気付いていないが、あなたが虐待する親だと思われる、または勘違いされる、そのようなリスクがあることを理解してほしい。
虐待が社会問題である以上、それは致し方ないことだろう。

ケガをさせない程度のしつけは親としての権利を行使しているだけに過ぎないので、子育てには必要なこと。
これは今も変わりないだろう。

気をつけるべきポイントは

・ケガをさせないこと

・ケガをさせない程度のしつけでも、それが繰り返されれば子どもの精神的負担は蓄積する

意図的に暴力を行うことが趣味の親にはこの話は通じないが、普段から懸命に子育てに励んでおられる親の方々にはぜひ必読していただき、ママ友たちに拡散願いたいものである。


記事・大堂光輝
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