27日未明、東京・大田区のマンションで3歳の男の子が意識不明の状態で見つかり病院に運ばれましたがまもなく死亡が確認されました。男の子の顔や体にはあざがあるということで警視庁は虐待の疑いがあるとみて、母親と、同居している男性から事情を聞いています。

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27日午前0時ごろ、東京・大田区大森南のマンションの部屋で、この部屋に住む新井礼人くん(3)が布団の上で意識不明の状態で見つかり、病院に運ばれましたがまもなく死亡しました。
警視庁によりますと、礼人くんは頭を強く打って死亡したとみられ、耳から血が出ていたということです。警視庁が遺体を詳しく調べたところ、顔や尻にあざがあり、顔は変色していて、この数日間に激しい暴力を受けたとみられることが分かりました。

警視庁は25日、マンションの部屋で礼人くんを殴ったり、蹴ったりして頭に大けがをさせたなどとして、同居する母親の交際相手で暴力団員の永富直也容疑者(20)を傷害の疑いで逮捕しました。
警視庁によりますと、永富容疑者は容疑を認め、「夕食中に、にらみつけてきたので頭にきて暴行した」などと供述しているということですが、その後の調べで、暴行は1時間以上にわたっていたことが分かりました。

NHKニュースより引用


暴力の連鎖は世代を超える


また痛ましいニュースだ。ここのところ、虐待のニュースが非常に目立つ。
いや、これはメディアの責任もあると考える。

ここのところ続く虐待のニュースだが、虐待があるのは今に始まったことではない。
今になってようやくメディアは「虐待が増えてきた」と言っているが、今さら感がどうしても否めない。
ここにしっかりマスコミ関係者への批判を書いておく。

さて、問題の虐待についてだが、「なぜ虐待をするのか?」という疑問が普通の人なら浮かぶ。
自分たちの子どもである。通常なら愛情が溢れて溢れてたまらないはずなのに、なぜ暴力をしてしまうのか。

虐待をする親は幼少期に自分も虐待を受けていたというケースが非常に多いようだ。
虐待を受けて育った大人が一概に虐待をしてしまうということは無いが、可能性として非常に大きいのは事実である。
つまり、虐待は世代を超えて繰り返し行われてしまうということだ。

だとすれば、この暴力の連鎖は止まらないのだろうか。
原因がこの「虐待の連鎖」だとすれば、どのような対策が必要なのだろうか。


今ある虐待を止めることが先決 その方法は


虐待の連鎖を止めるには、当然ながら”今行われている虐待”を止めなければならない。
しかしそれは言うまでも無く、”周囲が気付くことである”

例えばアメリカでは「児童虐待通告法」という法律がある。

この目的は児童虐待が隠れて行われないよう、虐待の事実を明るみにしようというものだ。
発覚させて、虐待を受けている子ども達を守るためのものである。

約40種ほどの専門職(主にソーシャルワーカー、医療従事者、保育関係者、司法、警察)などの人たちが通告する義務を負っている。
つまり虐待の疑いがあった場合、即座に通報できる仕組みだ。

ちなみに「間違いのリスク」が常に虐待通報には付きまとうのだが、免責事項(例えば虐待の事実がなかった場合に、対象の親から民事訴訟があった場合など)によって通報者は守られている。

この仕組みによって、虐待の事実を明るみにしようというのだ。
効果的であると思う。


親の責任と愛情


ちなみに今回の事件で、虐待をした父親は母親の交際者で、同居していたという。
この男は「実の子ではないから虐待をした」と言い訳をきっとするだろう。

とんでもない人物である。最大級の非難の声を私はあげたい。
その母親のことを好きになったのだから、その子どもである死亡したこの男児も同じように愛するべきだったのである!

それは社会人である以前に、”男”として当然の行いである。
ましてや3歳の子どもである。言う事を聞かなかったり、人に迷惑を掛けることもあろう。まだ何も世間のことがわからないのである。

よく考えてもらいたい。誰もが子どもだったとき、そうであったように、言う事を聞かないことは当たり前である。
子どもが悪いことをしたら適正なしつけ(暴力ではなく、親としての教育)を行い、誉めてやるタイミングでは最大限に誉めることが親の愛情である。

例え、この容疑者のように”自分の子”でなかっとしても、愛する人の子どもであれば同じように愛情を持って接することは当然である。
自分の子どもでも、他人の子どもでも、社会全体で見守っていくのが大人の役割だ。

日本は「他人主義」の傾向が目立つ。
社会全体で子どもを守ろうという、温かな心が現代人には足りていないのではないだろうか。

最後に付け加えておくが、今後も虐待事件のニュースは続くと思われる。
しかし、増えたのではなく今まで報道されてなかっただけだ。

新たな虐待事件が明るみになったとしても、私は動じず、対策と実行策を考えて、実際に行動したい。
一人でも多くの子ども達を救わねばならない。

記事・大堂光輝



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