タグ

タグ:いじめ問題

いじめ問題は国策として取り上げるべき だが、いじめ撲滅は不可能なのが現実

カテゴリ:

いじめが原因による自殺事件が多発している。
いじめ自体は昔から存在する問題であるが、社会問題として国民に認識されたのは最近になってからである。
それは、「いじめの定義」があやふやだった点と、「いじめのハードル」が低くなったことが国民への認知につながったと思われる。


いじめの定義と現代のこどもの思考

いじめTOP



日本は国としていじめの定義を次のように定めている。

1、自分よりも弱いものに対して一方的に
2、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え
3、相手が深刻な苦痛を感じているもの

と定義付けされている。しかし、「その判断には表面的・形式的に行なうことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行なうことに留意する」とされている。
さらに平成18年度の生徒指導上の調査以降、いじめの定義が追加され、

「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」も、いじめと認められることになっている。


世の中には何でも基準となるものや、見本のようなものが必要なケースが多い。それに照らし合わせて人々はルールを守り、生活している。
しかし、いじめのような多種多様なケースが想定される場合、そのルールやガイドラインは無効化、さらには悪循環を生むケースが多々ある。
ルールに合わないから実際起こっているいじめを無視し、自殺を引き起こすケースもあるに違いない。


あくまで定義であり、柔軟に解釈するべきものだが、いじめとは何か、を考えたときにこの定義を利用する場面が多い。
今後もこのいじめの定義は世の中の人に多く読まれることになるだろう。いじめ行為を受けたことのない人や、いじめの場面に遭遇してこなかった人からすれば、いじめの意味やいじめの実態すら知らない人がほとんどである。
その時にいじめとはどういうものなのか、言葉として理解するには、この定義を読むしかないのだ。


学校や子どもの世界の現場で、いじめと認定することは難しい。どうしても後手後手に回るのがいじめ対策なのだが、果たして効果的ないじめ防止策は存在するのだろうか。
子どもの思考で考えれば、それがいじめだとわかっていて行なっているケースと、そうでないケースがある。
子どもの思考回路はまだ未熟で、善悪の判断がまだ成熟していない。だから少年法というものが存在する。だからといっていじめ加害生徒を擁護するわけにはいかない。
これだけ世間がいじめ問題、自殺問題に関心を持っている中で、そして学校内でもいじめ問題についての授業が増えるなかで、未だにいじめが耐えないのが現実である。


これだけいじめは悪であり、命を奪うものであることが叫ばれても、いじめ自体はなくならないのが子どもの世界なのである。
いくら「いじめ撲滅」「いじめ根絶」と叫んでも、子どもの世界には通じないことがあることを理解しておきたい。


残念ながらいじめは無くならない
それが現実


先にも述べたが、昔から学校現場でいじめ行為は存在した。暴力行為や、嫌がらせ、悪質な発言等で苦しんだ大人たちもいるだろう。
その時代から何が変わったかといえば、いじめ行為の多様性、自殺への制御が利かなくなったことがあげられる。


暴力性を伴うものや、外見などを理由に暴言や嫌がらせを行なったり、集団で一人の児童を追い詰めたりする。
そして今の時代になりあ、新たないじめの手法が見つかっている。それは「SNSいじめ」である。
LINEでグループから退会させられたり、故意的に「既読スルー」をされたりするのが主な特徴である。


まさに時代を反映したものである。現代はSNSに依存した社会になっており、子ども達の世界でもSNSでの連絡手段がもはや普通である。
子どもだけではなく、社会人、高齢者までもがSNSを活用して生活をしている。依存しているということは、SNSの影響力は多大であり、実際社会と同じようにいじめ行為が可能という訳だ。
まさかLINEでいじめ!?大人たちは思うこと無かれ。これが子どもの世界で行なわれている実態である。

LINE いじめ1

LINE いじめ2

LINE いじめ3


しかし勘違いしてはならないことがある。スマホが普及してSNSが流行っているが、すべての問題がSNSにあるのではない。
スマホが普及しなければ、いじめが減ったかといえばそうではない。子ども達の道徳心や善悪の判断が間違っているということである。
スマホやSNSは「いじめの手段」であり、道具に過ぎないのだろう。いじめ行為で暴力や暴言を吐くことと同じように。


最大の問題はいじめが原因による自殺をどう防ぐかである。
いじめを受けている生徒自らが教師や親に勇気を振り絞って、自分がいじめに遭っていることを打ち明けることが理想的なのだが、それが一番難しい。
第三者に言うことで、いじめがエスカレートするのではないか、と考えるからだ。


「自殺する方もにも問題がある」という趣旨の考え方を持つ人もたくさんいるだろう。
ダウンタウンの松本氏もそのような考えを発言していたが、その側面も当然考慮しなければならない。
原因がなんであれ自ら命を絶つことは決して望ましいことではない。家族、友人、社会全体に影響を及ぼす行為であることは間違いない。


自殺は自殺を呼ぶ、と理論がある。
ニュースでの報道やネットでの拡散が、自殺を考えている人々の背中を押してしまう現象だ。
「あ、私も自殺しよう」と考えてしまうのだ。これは本当に大きな問題であり、改善sていく必要がある。
しかし、自殺事件を規制することはこれまた違和感がある。マスコミには自殺報道に関するマニュアルみたいなものが存在し、それは内閣府が作成した資料であることも明らかになっている。
参考→「自殺予防 メディア関係者のための手引き」内閣府 http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/link/kanren.html


例えばセンセーショナルな報道をしないこと、自殺の手段や行為を詳しく報じないことなどを、求めている。
一見、報道の自由の視点から見れば矛盾しているように思えるが、やむを得ない。
メディアはその影響力を自覚するべきであるし、報道することで逆に自殺を誘発するようなことがあってはならない。
本来なら社会問題であることをクローズアップして、自殺は決してやってはいけない、ということを認知させることが重要だ。


しかし自殺を考えている人たちは極限状態であり、精神的には限界を超えている状態である。
いくら第三者が「自殺はダメだ」「自殺するなんて信じられない」と言っても聞く耳を持たない。
逆にその言葉が不愉快に感じ、孤立感を抱いてしまう。「そんなことはわかっている。でも、もう限界だ」と来るんでいる人がこの日本にはどれだけいるのだろうか。


これからもいじめ問題と自殺予防の研究を続けていくが、正直に申し上げて万能な解決策に出会えるかどうか自信が無い。
かといって、政策論や精神論に逃げるつもりもない。
あくまで子どもの視点に立ち、または自殺願望のある人々に寄り添い、一緒に解決していく必要があると考えている。
日本が抱える深刻な社会問題であることに変わりないのだから。


Mitsuteru.O


いじめ自殺の責任を取らない学校側の不謹慎な対応

カテゴリ:

2013年8月にLINEいじめなどを受けていた、熊本県立高校の1年生の女子生徒が自殺した問題で、学校の調査委員会は「いじめが自殺に直接的な影響を与えたとは認めがたい」とする報告書をまとめた。
とんでもない判断である。この生徒がいじめ以外に自殺する要素が他には見当たらない。第3者が見てもそう思える事件なのに、調査委員会がその事実を認めないのはなぜなのか?


学校のイメージを守るため?

いじめ孤独
 
いじめによる自殺事件が多発するなかで、まだこのようなことが起こるのか、と驚いてしまう。これは”隠蔽”と同じようなもので、「いじめが原因」であることは誰が見ても決定的なのに、調査委員会はそれを認めない。
ましてやその報告書の最後に「絶望感から『うつ状態』に陥り、何らかの理由で自殺した可能性が高い」と結論付けている。
「可能性は高い」が「自殺の原因ではない」と決定付けることができるのはなぜだろうか?まるで言葉遊びをしているように思える。

当然ながら、自殺した生徒の遺族は「納得できない」として、県条例に基づく第3者委員会の設置を求めることにしている。
誰がどうみても納得できない。それが普通の感覚だ。
問題のLINEの内容だが、いじめによる暴力を示唆する「レスキュー隊呼んどけよ」や身体的特徴をからかう言葉など、5つのいじめ行為があったと認定している。
ここまでいじめの度合いが高く、しかもいじめがあったことを認めているのに、自殺原因ではないと結論付けるということは、自らの身を守ることしか考えていないのではないか?

まだ、いじめ対応のレベルはこんなものなのか、とあきれるばかりだ。これだけ自殺者が増え、社会問題になっているにも関わらず、昔と変わらない隠蔽体質がまだ現場に”こべりついている”。
誤解のないように付け加えるが、教員の中には立派な先生もいて、いじめ対策に全力で向き合う素晴らしい方々もいるのだ。それなのに、このような一部の教員の不真面目な対応で、”教員全体”のイメージを悪くしてしまっているのだ。

熊本県立高校は女子生徒のみが寮生活を行なっているらしい。自殺した生徒も寮生活をしている中でいじめに遭い、自宅に一時帰宅したときに命を絶ってしまった。
高校のホームページを見てみたが、この自殺事件があったからか、「いじめに関する取り組み」を一応は紹介している。ただ今回の自殺事件の記述は見当たらなかった。
高校生の集団生活で、いじめを見抜くのは困難だ。いじめは公の場で、堂々と行なわれるものではないし、現代になりSNSを使ったいじめが行なわれているように、「陰湿」な行為なのだ。
それを全て見抜くことは至難の業だが、例えば教室や授業中、休み時間、昼食など、教員の目が届くところで、目を光らせるべきだ。いじめの兆候や、いじめを受けている生徒のSOSサインに気付けるかどうかが、いじめ撲滅のカギとなる。

いじめ対策は様々な手法が議論されているが、一番大事な要素は「生徒自身がいじめを悪だと思えるか」どうかだ。
いじめ対策を教員や大人が理解していても、いじめは被害者も加害者も「子ども」なのだ。
つまり、”子ども達がいじめは悪いことである”ということを理解させてやることが、一番にやらなければならないことだろう。

例えば、すでに実施している学校もあるが、ホームルームや道徳の授業で、いじめの詳しい事例を紹介する。
「これはいじめ行為なんですよ」「いじめで自殺する生徒もいます」と勇気を持って教えてやることが大切だと思う。子ども達にとってはショックかも知れないが、実際に”死”を選ぶ子どもが存在する以上”当事者”としてその事例を事細かく教えてやることが大事だ。

”死生観”をまだ理解していない子ども達が、”死”を選ぶということは、相当な心身的ダメージを受けているということである。
それを社会全体で認知すれば、もっともっといじめに対する社会の向き合い方が変わってくると考える。今回のような調査委員会の報告書は子どもに向き合っていない、ただ保身だけを考えたものだと認識している。
このようなことが続くかぎり、いじめによる自殺は防げないし、それはイコール、日本の将来が危ういものになってしまうということである。


記事・大堂 光輝

どなたでもお気軽にコメントしてください。
執筆依頼、提携、情報交換などは下記のメールアドレス、またはツイッターにてお待ちしております。
良い記事だと思っていただけましたら、ぜひ拡散願います。






いじめは日本社会に害を及ぼす深刻な問題

カテゴリ:

警察庁が25日に発表した統計によると、いじめに絡む事件で、警察が昨年中に摘発・補導をした小中高生は331人で、前年より125人(27・4%)少なかったという。
昨年に比べていじめによる摘発は減っているということだ。
最近、いじめによる自殺が多くなってきている、という印象を受けるが、「摘発」に限れば減っているのか、と驚いた。しかし警察が介入するタイミングは「自殺」という結果を受けて動き出すのが実態だから、この統計はいじめ問題とは直接関連がないと思う。


いじめの質と社会の本気度

いじめ

 
いじめ問題は奥が深い。定義としては「一定の人的関係にある他の子による心理的または物理的な影響を与える行為で、対象になった子が心身の苦痛を感じているもの」として、いじめ防止対策推進法には定められている。
それに加えて「継続的でも継続的でないもの」も含まれており、日常から繰り返しいじめる行為も、その日限りの突発的な暴力行為も、心身に相当なダメージを受ける場合はいじめとして解釈される。

いじめとは道徳心の欠如が生み出すものだと、私は思う。しかし、子どもには善悪の判断があいまいで、特に中学生のころになると遊び半分でいじめたり、周りの空気に流されやすくなってしまう傾向がある。
そこで重要なのは、家庭での教育だ。私は子ども達と接する機会がこれまでの人生で多くあり、(少年野球のコーチをしていたため)子ども一人ひとりの違いを多く見てきた。
そこで感じたのは、親の教育によって子どもの礼儀や誠実さが変わってくるのだ。当然、挨拶も返事もしない子どもも多く見てきた。そのたびに野球の練習よりも、挨拶や礼儀の大切さを教えていて、苦労した覚えがある。
つまり、親の変わりに”しつけ”をしていたようなものだ。それくらい親の子どもに対する教育は大切なのである。

しかしいじめをする子どもが全員、親のしつけが悪いかと言えばそうではない。厳しくしつけをした結果、その反発で他人をいじめるようになる。その場合のほとんどが、そのいじめをした生徒は親からの愛情不足と虐待を受けているというケースが多い。子どものうちは、親への感謝の気持ちなど考えたりもしない。親は子どもの将来のためにしっかりしつけをしようと思い、時には厳しい言葉も掛けなくてはならない。しかし、子ども達は、あなたも子どもの頃そうであったように、その時は「うるさいな」「うっとおしいな」と思うのが普通だ。だが、その善悪の判断を覚えさせることで他人を傷つけてしまうかもしれない、という”判断力”が養われると思う。
私は全く偉そうに言えないが、今現在、人の親になる覚悟で日々を生きている。精一杯子どもに接することで道がいつか開けると思っている。いじめ問題にも、親・教師の辛抱強い粘りが必要なのかもしれない。

統計の話に戻るが、昨年より「摘発件数」が減った理由を考えてみた。
それは社会が「いじめ問題」を深刻に捉え始めた証拠ではないだろうか。行政や教育現場、保護者の間で、いじめを防いでいこうという取り組みが活発化した証拠だと言える。
警察が介入すると言うことは、「コトが起こった」あとであり、生徒の命が奪われたあとである。だが素直に件数が減ったことは評価して良いだろう。
社会がいじめ問題を真剣に考え始めたから、教育現場ではスクールソーシャルワーカー(SSW)を増員したり、いじめに関する「心の授業」を増やしたりする機運につながった。

また、テレビなどでいじめによる自殺事件の報道が相次いだことも影響している。
ただ、マスコミは自殺の報道だけでなく、いじめを失くしていくにはどうすれば良いかを、もっと問題提起してほしい。放送法に基づく限られた電波を与えられ、影響力があるのだから、日本の未来である子ども達を守るための報道をしてもらいたい。社会=子どもの周りの環境を変えることが、いじめ撲滅の第一歩である。
なので、SSWの増員や、教師の資質向上、家庭での最低限の教育、第3者機関によるいじめ相談、いじめの早期発見を徹底して、本来失われるべきでない命を社会全体で守っていかなければならない。

いじめの質は時代を重ねるごとに”進化”している。一番懸念されるのは「限度を超えた言動」と「SNS」だ。残念ながらいじめは昔からあった。しかしこれまでは「これ以上やるとマズイんじ・・。」「もうやめておこう」などと思いとどまる良心があったが、今は川崎市の事件のように殺人にまで発展するケースが増えてきた。自殺ではなく殺人に手を染めてしまうのだから驚きである。そのリミッターをなぜ超えてしまうのだろうか。善悪の判断だけでは済まされない問題だ。
これについては今すぐ結論が出せないが、恐らく日本が抱える根本的な社会構造、他人主義、家庭環境とこれまでの生い立ちにヒントがあると考える。
「SNS」に関しては、もう大人が想像できないほどに、子ども達は当たり前のように使いこなしている。これは時代の変化とともに進化していくのは当然で、「いじめのツール」としても使われるのだ。
いじめられていると思ったら、SNSをしないことで解決できそうだが、「知らないところで何か言われている」と思ってしまったら気になるものである。

はっきり言って、16歳未満の子どもにはSNSは必要ない。そんなことをしている暇があったら勉強やスポーツに励むべきである。
LINEやツイッターなどは、16歳以下は絶対に使わせないようにするために、しっかりとした強固な年齢認証を実施すべき。この年代での連絡手段は電話で事足りるのである。
このように、ここまで社会で問題になっていたとしても、いじめはなくならない。それが子どもの世界である。
しかしそれを、大人の監視で防ぐことはできる。子どもは国の宝。将来のためにも、いじめ問題は常に最優先の課題である。


記事・大堂 光輝

どなたでもお気軽にコメントしてください。
執筆依頼、提携、情報交換などは下記のメールアドレス、またはツイッターにてお待ちしております。
良い記事だと思っていただけましたら、ぜひ拡散願います。


「全国いじめ問題子供サミット」 子供が発するメッセージを大人は的確に捉えよ

カテゴリ:
1月23日に文部科学省で、「全国いじめ問題子供サミット」が開かれた。
これは実際に全国から集まった小中学生約140名が、「いじめを見つけたらどうする」をテーマに意見を交わすものだ。

文部科学省は24日、会員制交流サイト(SNS)などでのいじめ防止策を小中学生が話し合う「全国いじめ問題子供サミット」を同省で開催した。25都県と10政令市の小5~中3の約150人が参加。(1)傍観者を卒業する(2)コミュニケーションを大切にする(3)いじめが起きない環境をつくる――の3点をとりまとめた。

学校ごとの取り組みも発表。無料通話アプリ「LINE」などのSNSを使う際のルールを生徒が自ら策定した鳥取県の中学や、いじめ防止のCMを作り、ケーブルテレビで地域に発信した愛媛県の中学などが紹介された。

鳥取県米子市立福米中2年の三国花蓮さん(14)は「学校ごとや地域ごとの意見があって勉強になった。みんなで決めたとりまとめを、自分の学校のルールにもいかしたい」と話した。
文科省は「今後も子供たちが中心になって、いじめについて考える機会を持ちたい」としている。

全国いじめ問題子供サミットの様子

AKB48の高橋みなみさんも登壇
AKB48の高橋みなみさんも登壇

日本経済新聞から記事引用


メディアの無関心さに怒りを覚える


昨年も開催されたこの「いじめサミット」は主に、子ども達が意見を交わして、いじめの解決策を導き出そうという有意義なものだ。
子供の視点でいじめに向き合うというものは非常に大事なことであり、他人事で終わらせない工夫としては、珍しく文部科学省も良い案件を思いついたものである。

今年も様々な意見が飛び交って、内容のあるサミットだったようだ。
より重要な意味を持つのは、昨年から今年にかけて、いじめによる自殺が急増しているなかで、よりタイムリーな開催となったことである。

しかし、問題はマスコミの対応だ。

この「いじめサミット」を本気で取り上げたマスコミはあっただろうか。
いずれも新聞の社会面に小さく載っているだけである。

「いじめ」「自殺」のニュースを最近になってようやく取り上げて始めているが、この「いじめサミット」の意義は理解できていないようだ。

子供たちが直接いじめに関して意見を交わす重要な場であったはずだ。いじめ問題は社会面の小さな記事でなく、3面記事にするくらいの大きな問題ではないのか?
テレビはニュースの特集として、このサミットを取り上げてもよかったのではないか?

いじめによる子供の自殺を、「社会問題」としてようやく最近になって取り上げてきた割に、この無関心さである。失望に値する。

重要なのは子供たちがどんなことを話し合ったのか、どんな解決策を導き出せたのか、それを広く世に広めることが重要ではないのか?
このブログのような小さなウェブマガジンでは到底社会への影響力という面で、大手メディアには及ばない。比べる余地も無い。

子供の問題に限らずだが、大手メディアはその大きな影響力を、もっと社会の為に使うべきではないのか?
視聴率や購読者獲得よりも、すべきことがあるのでは?


子供の声に気付くべきは周りの大人たち

苦しむ子どもに光を与えたい
  苦しむ子どもに光を与えたい

いじめを無くす努力をすべきなには間違いなく子ども達自身である。
彼らが自分たちで「いじめを無くしていこう」という空気を教室内で作り上げていけば1つでも2つでも確実にいじめは減るだろう。

それでもいじめをしたい、という生徒は必ずいる。しかしいじめをするような人間は実際のところ、自分自身が弱いことを証明しているようなものだ。
いじめ抑止のためにはやはり、生徒みずからが
「いじめは卑劣な犯罪」
「いじめをする人間が本当は弱い」
という空気を作り上げること。それが非常に大事である。

そして、最後にいじめを止めるべき人間は、周りの大人である。
生徒の命を守るのは周りの大人の責務である。

このようなことを書いておきながら、まだ私自身も誰一人、自殺した生徒を救うことができていないが、現場に居る教師の方々には教育学習よりも、子供の命を最優先に考えてほしい。

現時点で私ができることは、私の記事がいじめの加害者、被害者に届くようにすること。
いじめを受けて苦しんでいる子ども達の味方は世の中に、こんなにたくさんいるんだよ、と気付かせてあげること。
わざわざ死ぬようなことはしなくていいよ、と教えてあげることだ。

今後もいじめ対策、自殺予防対策に全力を注いでいく次第である。


記事・大堂 光輝

シリーズ施政方針演説検証Vol.3  国を挙げていじめ撲滅へ動き出せ

カテゴリ:
- 安倍首相がいじめ撲滅へ動き出すのか?-
そんな期待を少しばかり抱いたのは、私だけであろうか?

先日の施政方針演説で、安倍首相は初めて「いじめ問題」について言及した。
いじめに対する政府の認識および、対策を示したと言える内容だった。
 
600siseihousin

まずは、いじめ問題に関する演説内容を見てもらいたい。

安倍首相・施政方針演説(いじめ問題に関して)
 
「いじめや発達障害など様々な事情で不登校となっている子どもたちも、自信を持って学んでいける環境を整えます。フリースクールの子どもたちへの支援に初めて踏み込みます。子どもたち一人ひとりの個性を大切にする教育再生を進めてまいります。
日本の未来。それは、子どもたちであります。子どもたちの誰もが、頑張れば、大きな夢を紡いでいくことができる。そうした社会を、皆さん、共に創り上げていこうではありませんか。」

首相官邸HPより引用。動画はこちらから→首相官邸


いじめ対策に本気で乗り出すのか?という期待は脆く崩れ去った。
これではいじめはなくならない。全くの不十分と言わざる得ない。


いじめが原因の自殺を減らすために


今回の演説で安倍首相はフリースクールの支援について言及した。
詳しい説明と論評は過去に当サイトで紹介しているので、参照願いたい。

再三、私はこのサイトで言及しているが、やはりいじめから子どもを救ってやれるのは周りの人間だ。
理想は友達や親、教師がいじめに気付くこと。または本人が相談する環境を整えてやること。

それができないから、いじめを受けている子どもたちはどんどん追い込まれていく。
やがて死んだほうがマシだと思い込んでしまう。

私は、直接子ども達に関係の無い「第3者」であっても「子どもの命」を救うことができればそれでいいと思う。
フリースクールで義務教育が可能になる、という施策を批判する方々は、いじめで苦しむ子ども達の姿が頭に浮かばないのだろう。

自殺直前の子ども達はもはや逃げ場がない状態なのだ。
もう手遅れ寸前なのである。逃げることができればどこでもいい。ただその命を救ってやることだけを大人たちは考えればいいのだ。
自殺寸前の子ども達が「まだ生きるチャンスがたくさんある」「死ななくても大丈夫」ということを気付くことができるか。ここに懸かっている。
それを気付かせるのが大人の役割だ。どのようなシステムが効果的か、今後も私は考え続けていきたい。

しかし、いじめはなくならないだろう。
だが、自殺者を無くしていくことはできるはずだ。政府も国民も社会全体も、その方策を全て発揮していない。
いじめの原因はそれぞれのケースで違うが、いじめを生んだのは社会全体である。だったら社会全体でいじめによる自殺を真剣に考えるべきだ。

安倍首相も演説の最後にこう締めくくっている。的を射ているので紹介して、このシリーズを終わりにしようと思う。

「日本の未来。それは、子どもたちであります。子どもたちの誰もが、頑張れば、大きな夢を紡いでいくことができる。そうした社会を、皆さん、共に創り上げていこうではありませんか。」


シリーズ所信表明演説検証は今回で終了します。


記事・大堂光輝

全国いじめ問題子供サミット開催!いじめを解決する糸口は子ども達の言動にあり

カテゴリ:
1月23日に文部科学省にて「全国いじめ問題子供サミット」が開催される。
これは深刻化するいじめ問題に対して、子どもたち自らがいじめの原因や対策を考え、発表する場になっている。

主なテーマは、「SNSでのいじめを含め、いじめの問題にどう立ち向かうか」







このイベントは子供の問題が社会問題化するなか、非常に重要な意味をもつだろう。
大人がどれだけ頭ごなしに「いじめをしてはいけません」などと、言っても、やはり子ども達の心には響かない。

やはり子ども達(当事者)の観点から議論を行ったほうが確実に良い案は出る。

上記に貼り付けたYoutubeの動画を見ていただきたいと思うが、非常にレベルの高い議論が行われており、的確な質問や素朴な疑問がこの場で繰り広げられる。
私は別の仕事で出席できないが(出席するのは関係者のみか)一度はこの場に立ち会って、子ども達の生の声を聞いてみたいと心から思う。

教育現場で日々、必死にいじめ問題に取り組んでおられる学校関係者の方々にはぜひこの「子どもサミット」の中身をチェックしていただいて、今後のいじめ対策に役立ててほしい。
ましてや、テーマもSNSを使ったいじめへの対策を扱う。教育に携わる者は注視してもらいたいイベントだ。

何度も言うが、「生の子どもの声」は「現場の声」だ。
いじめ対策を考えるうえでは、絶対に必要な財産である。

私も私人とはいえ、こうして執筆活動を通じて子どもの問題を世間に認知してもらうために必死に情報を集め、記事をアップしている。
将来はスクールソーシャルワーカーになって子ども達を救いたい。

少子高齢化が進む中で、より子ども達への「教育の質」「道徳心の向上」が大事な要素になってくる。
社会問題の第一に挙げられてもおかしくないいじめ問題を、解決に導くためのヒントがこの「子どもサミット」には秘められているのかも知れない。

情報を収集して、サミットの内容を後日続報し、お伝えする予定です。お楽しみに。
皆さんでいじめ問題を考えていきましょう。


記事・大堂光輝

補正予算は無駄だらけ?こどもへの支援は置き去り そして謎の中国への支出

カテゴリ:
今年度の補正予算が20日にも成立する見込みだ。
3兆3000億円にも上る大規模な予算で、安倍首相が掲げる「1億総活躍社会」の実現に向けた予算支出となっているようだ。

K10010369791_1601131608_1601131611_01_03


この「1億総活躍社会」といううたい文句だが、果たしてそれが国民のためになるものなのか、疑問視する声が相次ぐ。
政治の世界ではよく、このような”タイトル”が付けられた予算があるものなのだが、「1億総活躍」よりも今回の予算はまるで「高齢者優遇予算」だ。

目玉政策は所得の低い高齢者などを対象に1人3万円を支給する臨時給付金(なんと3390億円!)や、サービスつき高齢者向け住宅の整備(189億円)など高齢者向けの政策に多くの予算を支出いている。
当然、それ以外の分野への緊急な支出はやむを得ない。

改革には痛みを伴う。その補填として補正予算を使い、傷を補うことは政治手法としては当然の手法だろう。
例えばTPPによる農業へのダメージを回避するために、農業対策に3122億円の支出を決めた。また、東日本大震災の復旧活動や、老朽化対策への支出も盛り込まれている。
より大事な防衛費に関しては、テロ対策や安全保障の構築に3037億円。国家の安全を確保することが国会議員の基本的な役割なのだから、当然といえる。


深刻なこどものいじめ・虐待を政府は真剣に受け止めていない


本誌で再三指摘しているが、こどもに関する問題は非常に深刻な状況である。
ここ数年でもその被害数、被害状況は悪化しており、日本が抱える社会問題の代表例とも言える状況だ。

相談対応件数③
 

喫緊の課題に処方箋を打つ役割の補正予算に、この問題に関する予算支出があまりにも少なすぎる。

・ひとり親家庭等の支援(117億円)
・児童虐待防止対策の強化(91億円)

関連する問題の予算配分はこれだけである。ここまで連日ニュースでいじめや虐待が取り上げられるなか、多くの人が失望したのではないだろうか。
いじめ問題や虐待などの問題はもはや自治体独自で行う施策では追いつかない。政府自らが旗を振り、撲滅に向けて一歩を踏み出さないといけないと考える。
そうでもしないと、一向にこどもの問題は減らないだろう。政府が認識を改めて、国家レベルの問題なのだと気付いてくれるよう、私は今後も働きかけていきたい。

日本は少子高齢化が叫ばれて久しい。高齢者向けの施策が選挙の結果に大きく結びつくことは理解できるが、前回の記事にも指摘したように(1月18日付け 本誌記事)自民党は若者対策を軽視しているように感じる。
それは政府予算で教育支出の少なさを見れば一目瞭然だ。

61f0cff5
 

日本の将来を背負うのは、間違いなく今の子供たちである。
安倍首相は、外交問題で成果を挙げようとしているが、戦後の腐敗した日本の構造を変えていこう、次世代に懸案を残さないようにと、考えてやっているはずだ。
ならば、その子ども達に直接関わる諸問題にも手をつけてほしい。


謎の国際連帯事業の正体・・・それは中国への支出


補正予算は緊急性の高い案件に予算をつけることは先に述べたが、日本が抱える問題とは関係のないところで我々の税金が使われる例は多々ある。
補正予算とは別枠のODAでの搬出となるが、中国で2011年から続く植林緑化支援事業費を計上する方針のようだ。

その額は90億円。

なぜ、中国への植林植え付けが今、必要なのか。全く理解ができないし、受け入れられることはできない。
日中関係を意識してなのか、しかしこの事業が日本にどのような国益をもたらすのか全くわからない。

東アジア情勢はかつてないほどの緊張に包まれていることは読者の皆様もおわかりだろう。
北朝鮮が自称水爆実験を行い、韓国との間で朝鮮半島の緊張が高まっている。さらに中国は南シナ海の埋め立てをほぼ完了させて、ついには戦闘機を配備しようとしている。
日本にとっては中国による尖閣諸島の領海侵犯で、日々日本の領土が脅かされている事態だ。

さらには北朝鮮を巡って、新たな制裁を国際社会で構築していく流れのなかで、北朝鮮と親密な関係の中国が制裁に消極的な姿勢を見せている。
その中で、あえて中国に歩み寄る姿勢を取るべきではないだろう。
俯瞰してみれば、大した政策ではないのかもしれない。ただの植林植え付け事業だ、と言ってしまえばそれまでである。

しかし、今必要なものなのか。そしてそれをあえて補正予算という緊急の枠組みで国民が納めた大事な税金を、中国の植え付け事業に使うことが正しいことなのであろうか。
90億円あれば様々な施策を実行できるのではないか?

例えば来年度予算で厚生労働省は自殺対策の概算要求で、30億円の要求をしている。(昨年の自殺対策費はたったの2億円!)
今年度予算の児童虐待・DV対策事業に52億円。補正予算では91億円だ。

つまり今年度補正予算で計上した、児童虐待対策費と、中国への植林事業がほぼ同じ額なのだ。
その政策の重要性は同じなのか?普段予算をチェックされない方にとっては驚愕の事実ではないだろうか。

ということは、政府は子どもに関する社会問題に関心がないのではないか?
いじめ、虐待などの問題は今の日本が抱える社会問題のトップに位置すると私は思っている。喫緊の課題だ。

この問題を解決の方向へ導くのは国家の仕事であるし、解決に向かうことはそのまま国益に結びつく。
なぜなら将来の日本を背負うのは子どもたちなのだから。
中国の植林事業が国益に結びつくとは考えにくい。

改めて、今回の補正予算は問題があると言わざるえない。
残念ながら自民公明の賛成多数で、この補正予算が通ってしまう。税金の一部が意味のないところへ使われてしまう。

高齢者優遇、日中関係の維持。票に結びつきやすいところに予算を付けたいのはわかるが、今、直面している日本の課題は何なのか。
そこをよく考えてほしい。来年度予算の審議に向けて、一層チェックしていきたい。


記事・TERU

時代は変わった すべてのいじめ問題は自殺へと直結する

カテゴリ:
新年が明けてから、世の中の動きは異常なほど不穏な動きを見せています。
国際情勢に限らず、日本国内でも時代が多様に変化していくことが如実に感じ取れる、2016年の幕開けです。

子どもを巡る問題でまた痛ましい事件が起きました。
沖縄の豊見城市の小学4年生の男の子が、首を吊って自殺をしました。

なぜ防げなかったのか...。
自殺があるごとに様々な問題点が指摘されていますが、残念ながらいじめと自殺のニュースは定期的に見かけるようになってきました。
今回のケースは報道されている情報を読む限り、完全に学校側の責任を言っていいでしょう。


「いじめ問題専門委員会での審議については、現時点では自殺につながるいじめは確認されていない。真実を求め、誠心誠意取り組んでいきたい」(豊見城市 照屋堅二 教育長)

K10010367221_1601102110_1601102111_01_03


この「自殺につながるいじめ」とは何なのか?
そもそも「自殺につながるいじめ」と「自殺につながらないいじめ」の区別は可能なのか?

もしかすると、教職員の中でいじめに対するマニュアルがあって、いじめの度合いによって対応を決めるような仕組みがあるのでしょう。
しかし、これも自殺してしまったあとの調査であって、今回のケースいじめがあったことすら気付いていない様子であります。
小学4年生の子どもが、自ら死を選んだのですよ?
責任ある大人たちは、この生徒に相当な苦しみがあったことを理解できないのでしょうか?


今こそ時代の流れにあったいじめ対策を

CWfwEBsU8AA1I4B
なんとしても苦しむ子ども達を救ってあげたい。

明らかに現在の日本は、いじめが原因の自殺が増えています。
今は冬休みが終わり、学校が再開される時期です。いじめにあっている子どもたちは長期の休みで辛いいじめから一旦解放されたにも関わらず、また地獄のような日々を送るわけです。
現代の人々はある意味で冷たい、あるいは個人主義的な風潮が色濃く染み付いていると思います。

「いじめを受ける側にも原因がある」
それはそうかも知れません。でも、弱者を救うことは人間として、または日本人の精神として大事にしなくてはならないことではないでしょうか?

大人が助け合いの精神を子ども達に身を持って教える。それを怠ってきたから今の不穏な冷たい世の中になったのではないでしょうか。

そして自殺する子ども達が増えました。
これは完全に、自殺報道に影響されていると考えます。

「あ、同じようにいじめに遭っている人が自殺した。俺もしようかな」
まだ考えが未熟な子どもの考えることです。突発的に”死”を選ぶことさえありえるのです。
まさに「負の連鎖です」自殺が自殺を生んでいるのです。

大人たちはそれを、「どうかしている」と思わず
「時代は変わったんだ」「子ども達を守らなければ」と思って欲しいのです。
特に教育に携わる方々には、心底願うばかりです。

いじめ対策の不備に、教職員の多忙さがあげられます。でも勉強を教えることだけが教師の役割なのですか?
道徳、人間形成も含めた教育が基本ですよね?
ならば、いじめ対策(人間関係、対人関係構築のディスカッション)などの手法も取り入れながら、多様な教育を行なうべきです。


以下に日本未来マガジンのいじめ対策案を提示します。

・教職員の多忙対策にスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーの大幅な増員
(文部科学省や内閣府で責任を持って予算確保の上)

・月に一度のいじめアンケート調査
(繰り返ししつこくやることにより、タイムラグを防ぐ。さらにはいじめの抑止効果も期待できる)

・道徳授業の強化
(先にも述べたが生徒自らが発言をするパネルディスカッションが効果的。週に3~4時間程度は確保したい。教師もそこでいじめが無いか見極められる)


現在もいじめ対策案を検討中であり、今後も追加で本ブログに掲載していきます。
どこかで見てくれている行政関係者がいればぜひ取り入れてもらいたいと思います。

また自治体ごとの対策案ではなく、国家として取り組むべき課題であると私は思います。
そこまでいじめ、自殺問題は大きな問題です。自治体の財源不足でいじめ対策に差が出るのは、絶対におかしなことです。

もう二度と、いじめによる子どもの自殺者が出ないことを、心から願っています。


記事・TERU

 

カテゴリ:
不登校の子ども達がフリースクールで教育を受けた場合でも義務教育の修了を認める制度を、自民党の議員連盟がまとめました。
元々は、自民・公明・民主各党で、議論が進められていたのですが、来年の通常国会で成立する見通しで、2018年4月にもスタートする見込みです。

法案名は「義務教育の段階に相当する普通教育の機会の確保に関する法律案」
また長くてわかりにくい法案で、「フリースクール法案」とでも言われるのでしょうか...。

保護者が教育委員会に申請して、それを教育委員会が認めた場合にのみ義務教育の修了がなされるということ。
基本的にはフリースクールに通いながら、学校復帰を目指していく。

認められた生徒は、教育委員会が作成する「個別支援方針」を元に、学校復帰に向けてフリースクールで教育を受ける。


まず全国に不登校の生徒は約12万人もいるのです。初めて聞いた方にとっては驚きの数字なのかも知れませんが、これが日本の教育現場の実態です。
これだけ学校に行く気が起きない子ども達がいることを、まずは認識していただきたいと思います。

そのなかでフリースクールで義務教育の修了を認めさせる今回の法案は、意味のあるものですが、どこで歯止めを掛けることができるか。
なんの歯止めかといえば、「学校に行きたくないからフリースクールに行けばいいや」という性質のものではないということです。

これまでフリースクール自体の認識や法制度が薄く、フリースクールに通うことすら不名誉なものとして扱われていたりして、社会の空気が不登校の子ども達に冷たかったのです。
今回の法案は、生徒一人ひとりに教育委員会が向き合い、
「どうしても学校に行けないなら、一時的にフリースクールで勉強しよう。意味のあるものにするため学校を卒業したとする証明もする。だけど、学校に戻るという意志が前提だからね」
というものです。

あくまで学校に復帰すること。これは絶対に外してはならない重要なことです。
ただ今後色んなケースを想定すべきですね。
例えば、学校に復帰した生徒がまたいじめに遭い、自殺をしてしまった。学校に復帰させたことが間違いだったという批判もあるでしょう。常に最悪のケースを考えておくべきです。
そして、いじめに遭ったらフリースクールに行けばいいという、「逃げ道」としてかなり重要になるわけですが、あくまで学校への復帰をフリースクールの職員も教員も教育委員も、働きかけていくべきです。

やはり学校で集団生活を送る重要性は大人になったときに、本人が一番実感するはずだからです。
いじめに遭い、生きる意欲が失った子供に無理をさせてはいけませんが、学校で学ぶ重要性も同時に教えてあげるべきです。
それを現場の方々には覚えていてほしいと思います。

親も、フリースクールに丸投げするのではなく、自分の子供が学校に行かなくなった責任を重く受け止め、一緒になって学校復帰を目指していくべきです。
不登校の原因には少なからず、親が原因のケースもあります。親が作り出した不登校をフリースクールに丸投げすることは間違っていますよね。

ただ、口を酸っぱくして言いますが、学校内で起こるいじめ、さらには学校に行っていなくてもSNSやLINEなどで誹謗中傷を受けて、本気で自殺を考えている子供たちはたくさんいます。
今すぐにでも心のケアが必要な子ども達のサインをどう気付くか。全ての原点はここにあります。
親も教師も、教育委員も、子供のサインに気付かなければ、この「フリースクール義務教育法案」は全く意味のないものになります。
親にも、友達にも、先生にも何も言わず、遺書だけ残して自殺をした子ども達はたくさんいるのです。

必要なことは、この「フリースクール義務教育法案」の存在と情報を、悩める子ども達に直接伝えること。教えてあげることがいかにできるか。
この法案の中身を自殺を考えている子ども達に教えてあげることができたら、命を救えるのかも知れません。

記事・藤堂 秀光

 深刻化するいじめ問題 子供の世界と大人の世界は違う

カテゴリ:
ここのところ、いじめを原因とする学生の自殺が立て続けに起こっています。

それに伴って様々な場所で、いじめをどうやって撲滅していくか活発な議論が行なわれています。

しかし、あらゆる対策はどれも想定内のものであるし、制度上の対策でいじめを撲滅するのは限界がある。
いじめは大人の目に見えない所で行なわれているのです。

つまり大人と子供の世界は違う。

imasia_1767331_M


大人はよく
「俺が子供の時はいじめなんて無かった」
「俺が子供の時と、今の子供は全然違う。甘すぎる」
などのように、大人自らが現代の子供の世界を遠ざけています。この比較論は全くの無意味です。

では仮に今の子供に問題があるとすれば、それは何が原因なのか?

子供はある意味、社会の鏡ではないでしょうか。
大人の行動を見て子供は「あ、それでいいんだ」と思うことが多いはずです。

今の大人に問題があるから子供達は世の中でさまよっているのです。
その現状に気付いていない大人で、この日本は満たされているのではないでしょうか?

いわゆる「無責任な大人」が多いわけです。
それは親、教師だけではなく、全員です。かつては私もそうだったかも知れません。(今は必死に見本になろうと努力はしている)

大人と言われる全員が、子供の(誰の子供であっても)未来を考えてあげる気持ちが必要なのです。
言葉は難しいですが、親切に、労わって、道徳心を社会全体で教えていくことが望ましいのだと思います。

昔はそうだったのではないでしょうか?
ダメなところは親だけでなく、近所の人も一緒に注意する。
なにか元気が無さそうにしていたら、気にかけてあげる。
現代の日本はこのような、親切な気持ちを持つ人間が少なくなっているのではないでしょうか。

「個人化」が進み、スマホなどの普及で全てが満たされてしまう世の中です。
若い世代はSNSとスマホゲームに明け暮れ、「生のコミュニケーション」を取る能力が昔と比べて大幅に減っていると思われます。
人間、それは誰でも楽しい方に流れていきます。

友達と直接会わなくても、SNSで済ますことができる。
暇があったらゲームをして、心が満たされてしまう。正確には心が麻痺していることに気付かず。
これは若者に限らず、大人もそうですよね。(ご老人はボケ防止に役立つのだが)

「今の子供は全然ダメだ...」なんていう言葉は絶対に間違っています。
使わないで下さい。
子供達は口を揃えてこう言うでしょう。
「じゃあ大人はどうなの?俺達の見本になってる?」

あなた自身は良くても、社会全体で考えて下さい。
子供に生きる術を教えるのは大人です。

特に子供たちと深く関わる教師は、絶対にこの気持ちを忘れないでほしいです。
「子供たちの視点で、物事を考える」
「自分のことのように、積極的に子供の世界に介入する」
とても難しいことですが、教師だからできることなのではないでしょうか。

一方的に自分の考え、主張を子供に押し付ける時代ではありません。時代は変わりました。大事なのは「今」なんです。
ITやテクノロジーと同じく、社会も変わっていくのです。

自分達が育ったモデルが正しいわけではありません。勘違いは絶対にやめて下さい。
十人十色の性格、プラス、時代の変化に合わせた教育指導が必要なのだと思います。

何でも満たされるこの現代において「僕は全く満たされていない、もう生きてる価値なんてない」
という子ども達が、今この瞬間も悲鳴を上げているのです。

一般社会に今、求められているのは子供たちを見守る温かい目です。
抽象的ですが、この意識を持つだけで少し空気が変わると思うのです。

文・藤堂 秀光

このページのトップヘ

見出し画像
×