87歳でした。
横田滋さんは、昭和52年、中学1年生の時に新潟市の学校から帰る途中、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親で、40年あまりにわたって娘の救出を訴えてきました。
平成9年に拉致被害者の家族会が結成されてからは、会の代表として、妻の早紀江さんとともにすべての都道府県を回り、救出を求める署名活動や1400回を超える講演を重ねてきました。
平成17年の暮れに血小板の難病を患っていることが分かり、これに長年の活動による疲労も重なって、13年前に家族会の代表を退きましたが、「拉致問題への世論の関心を維持しなければ」と、定期的に病院で検査を受けながら各地で被害者の帰国を訴え続けてきました。
平成26年には、モンゴルで、めぐみさんが北朝鮮で産んだ孫に当たるウンギョンさんと面会しましたが、その場にめぐみさんの姿はなく、娘を救出する覚悟を新たにしていました。
早紀江さんとともに“拉致被害者の救出運動のシンボル”として活動の先頭に立ってきた滋さんですが、解決にあまりにも長い時間がかかる中、足腰の衰えに加え、会話にも詰まるようになり、全国を回っての講演活動などは平成28年3月を最後にできなくなっていました。
めぐみさんが拉致される前日の自分の誕生日に娘からプレゼントされたくしを大切にしてきた滋さん。
高齢となり解決が時間との闘いとなる中、被害者の一刻も早い帰国に向けた北朝鮮の決断と日本政府の取り組みを求めていました。
滋さんは、体調を崩しおととし4月から川崎市内の病院に入院していましたが、5日午後2時57分に老衰のため亡くなりました。
横田滋さんが亡くなったことについて、自宅がある川崎市のJR川崎駅前で話を聞きました。
54歳の男性は「とても残念です。生きておられる間にめぐみさんが日本に帰ってこられることができるよう、政府に対応してほしかったです」と話していました。
また、44歳の女性は「子育てをしている身としては、切ないとしか言いようがないです。とても悔しいです。拉致被害者の中には帰国した人がいる一方で帰ってこれないままの人が残っていて、政府が何とかできなかったのかなと疑問です」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20200605/1000049854.html
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